• ホーム
  • 貴乃花親方からのメッセージ

貴乃花親方からのメッセージ

貴乃花親方ダイアリー

余力を残さず、全力で戦ってほしい

2013.11.9

九州本場所明日から九州本場所が始まる。
15日間の熱戦の火蓋が開くその扉は、勇ましくもあるが、また虚しさもある。

気持ちのずれや体調の不具合など、負ける原因は様々だが、どれもこれも言い訳にしか過ぎず……。
生きていれば必ず良いことが起こる、そう思って生き、努力するのが人間の使命だと思うが、胆力、気概ともに個人差がある。
ハンデがあればそれを克服し、弱い部分があれば鍛え、少なくとも平均点を取れるレベルに育て上げるのが私の仕事だ。
だが、悩まずに教えたいし、また悩む暇も持ちたくはない。

生まれたての気持ち。裸足の精神。
この心に抱いている「心」とは、目には映らないから認識しにくいかもしれないが、何でもかんでも肉眼で見えるものが良いわけでもない。また真実でもない。
生きるは命。されど命。ただあるのはその心……。

押してだめなら引いてみな……とは、相撲の技では効かないだろう。
しかし心には効く。
それは、「考えすぎると行き詰まり、明日が見えなくなるから、ゆっくりと息を吐き、肩の力を抜け」と、いう意味になる。これを理解し、体で知るには……

足下から頭のてっぺんまでとことん汗かき、繰返し涙を流し、涙をぬぐわずに、それでまた腹で汗をかき、腹で涙を流し……

これを日々繰返し、鍛練することにある。

自分を傷つけ、追い詰めて、破れかぶれにまで追い込むのが稽古だ。
自分を追い込み、どうにもならないくらいに、体が動かなくなるくらいに、窮地に追い込む。それができれば、勝者となり賢者となる。
貴乃花道の教えは、余力を残さずに全力で戦え……というだけ。
あとは笑って過ごせ。
どうせ一度の人生、決して無駄にはするな。

相撲道とはそういうものだ。

貴乃花光司

九州の空

2013.10.25
田川市の貴乃花部屋宿舎
田川市の貴乃花部屋宿舎
九州の香り。九つからなる美しい島々。
10月21日の晩、福岡県田川市にある貴乃花部屋宿舎に入りました。
季節柄もよく、貴乃花部屋師弟共々、地元の皆様方に大切にされて暮らしております。

田川市は元来、鷹の羽が舞い降りたとして、古来の地名は「たかは」と言われていたそうです。
我々貴乃花グループは、通称「貴派」と言われています。
おこがましい限りですが、田川市にいてその話を聞くたびに嬉しくなります。

来年早々には、角界は理事改選時期に入りますが、現在理事の私自身は再選に向けての気力はなく、全国各地の皆様との交流を深めて、相撲文化復活・振興に力を注ぎたい次第です。

私は花田家の出ですが、元々は九州の熊本阿蘇山近くの出だとも聞かされています。
そのためでしょうか、毎年九州の風を浴びるたびに「郷土愛」にかられてしまいます。
15歳の入門を機に、郷土を喪失した私にとりましては、相撲人生で、もがいて土俵に上がるたびに「郷土を捜索」していたようにも思え、今でも感慨深く思い出します。

人生無駄にすることなく、弟子たちに囲まれて生きている今は、この上ない喜びでありますし、それ以上に求めることは何一つございません。
いつも思うことは、この子たちが「飢えない人生」を歩んでくれればいいと考えております。
私なりの人生で学んだことは、幸せはまやかしであり、鬱蒼とした試練の始まりでしかなかったと今でも実感しております。
この感覚を子供たちには与えたくなく、それぞれに適した幸せな人生を味あわせたいと願うばかりです。

うちの子達は、性格の良い、いい奴ばかりです。
バカがつくほどの子供っぽい奴もおります。
私の自責の中で、可愛いその子らを育てるのも、生き甲斐でもあり、また人生の喜びでもあります。
だからこそ生きていられるし、それが私自身の性根であると、感じています。

この子達を、世に認知されるべく、強い人間に仕立て上げたく、
そのためには手綱を緩めることなく叱咤激励し、厳格に取り組みたいと思っています。

息子からは、「花の名(『ALWAYS 続・三丁目の夕日』の主題歌)」という歌を教えられました。
私も、息子に歌を教えられる歳になりました。

貴乃花光司

ここまで来たな!

2013.7.6

曲がりくねった道を歩いてきたが、本来真っ直ぐな道が好きな私は、生まれながらの自分に嘘をつくことなく生きてきた。
生きていくこと、歩いて行くことが大変なものだと感じたのは16歳の春だった。
社会に出るのが早過ぎる、早熟に過ぎるのではないかと、周囲からの嫉妬や罵倒は激しく、辛苦の思いに浸ったものだ。

いつの時代も、歴史に残る真実とは、単純明快なことでしかない。
それを実感して生きてきた。
自分が目指した道は、夢を果たすこと、揺るぎない幸せをつかむだけのことで、目立つことでも、誰かの代わりにはなることでもない。
非難されようが、屈辱を味わおうが、それはどうでもいいこと……と、ただ真っ直ぐに自分の道を歩いてきた。

金がないということと幸せでないということは、イコールではない。
人生とは、自分が生きた証を、恥じることなく後世に遺すことである。
夢を掴んでも、またそれを手離す勇気も持たないと、一番にはなれない。
夢を果たしたら、貧困の生活をも怖れずに、むしろ好んでできるくらいでないと、一番ではいられない。
この世の中、半端ものである自覚のないままに、無知なままに俗欲を生きてる者も多い。

金があるかもしれないが、人は誰もついてこない。
そうであってはいけない。
生きている間中、高みを目指し、己と戦いつづける者だけには、意識をせずとも人はついてくるだろう。
万人の支持を得るもの。自分なりの根性があるもの。
見るものを魅了するだけの戦い方を知っているもの。
それは何か。

7月の名古屋場所この7月の名古屋場所では、私はそれを弟子たちに伝えてきたつもりだ。
勝つか負けるかは時の運もあるが、私は、土俵に上がるときだけは誰にも負けない自信があった。
恋人のために土俵に上がったこともない。
誰かにすがるために土俵に上がったこともない。
私が心にきざみ、学んできたのは『大きな壁はぶち壊せ』だった。

自分の目の前に立ちはだかるものは、『すべて打ち壊せるものだ』でしかない。
自分を信じることの大切さ、自分を奮い立たせる強さを身に付けるために、稽古を重ねる重要性を学んできた。

恐れるものなど何もない……と、明日からの弟子たちの奮闘に期待し、時には憂慮しながら、私は戦い方を教える。

弟子たちが土俵に上がる度に、そして出身地の次に「貴乃花部屋」とアナウンスされるたびに、気持ちが高揚し奮い立つ。
弟子たちよ。俺がついている。死にそうなくらい怖くても戦い抜け。
たとえ国民の誰もが敵であっても、この俺が味方だ。
やるだけやってみろ。それが貴乃花道だ!

貴乃花光司

我が弟子たちへ

2013.5.12

今日から五月場所が始まった。
一日を終えて勝ったものも負けたものもいる。
地位も違えば性格も違うから、悔しがっているものも、ホットしてるものもいるだろう。
始まったばかりで言うのもなんだけど、全力を尽くしてやるだけやってくれればいい。
数字的な勝敗も気になるとこだが、そんなことより君たちが生きてきた証を土俵の上で堂々と見せるだけでいい。
焦らず、怯まず、躊躇わずに、今まで君たち一人一人に教えてきたことを頭に浮かべて、まっすぐな気持ちで戦いに挑めばいい。
この世は一切皆空である。
人が思い描けるほどその通りにはいかない、難しい社会がそこにはある。
だから、若いのだから怖がらずに戦ってほしい。

親方はこの道の本職だ! 戦い方は知っていて、戦わせ方も心得ている。
一念通天、一つの思いは天にも通ずる。
そうやって親方は人生を掴んできた。それ以外の考えはなかった。
土俵に上がり体と心を震わせながら、臆病な自分に負けじと戦ってきただけだ。
青春も涙も味わったことはないけど、今は君たちの取り組みを見るたびに涙が止まらない。
だから他にはなにも要らない、ただただ運命を超えた涙を味わってほしい、それだけだ!
「自分がここまでやれたんだ」と感じられるだけでいい。
親方がついている。一緒に土俵にはあがってやれないが、親方は命を懸けて見ている、不惜身命で見ている!
それぞれ得意な技があるけれども、戦いに最も必要な業は『諦めない気持ちで挑むこと』だ!
相手が大きくて強いと思うほど、自分から目を離さずに、相手からも目を離さずに戦うことだ。そうすれば勝利の女神がどこかにいてくれる。
自分が怖くなった時こそ、向かい合う相手に仁義を通し、睨み付けていけばいい!
すべての君たちの取り組みを替わってやれるものなら替わってあげたい。
一騎当千であるつもりだよ!

親方は相撲のことしか知らないけど、相撲のことしか詳しくはないけど、師匠から相撲の哲学を学び、必死で身に付けた。
毎晩腹の底で泣きながら、心とからだを鍛えてきた。
門限を過ぎたら気を養うように寝ていた。自分が生きていることの実感を知りたくて。
布団に入る時だけがその時だった。
布団に横たわるまで死力を尽くして生きてみたい、と思いながら毎日を暮らした。
誰彼に良く思われようなんて考えたこともなかったよ。
喧嘩っぱやかったし、怖いもの知らずだった。
でも今は君たちの取り組みを見るのが怖い、ただただ怖い。
でも歯を食いしばって見つめているんだ。神様をも味方につけようと思って。
それでも神様が味方してくれなかったとしたら、親方が受けて立つ思いで見ている。
神様を敵に回しても親方はなにも怖くないさ。
ただ、君たちが怪我をするのだけがすごく怖い。
神様は居るようでいないものだよ。居るとしたら、君たちの守護神は親方さ。
君たちのためなら、例え世界中の神様を敵に回したとしても、なにも臆することはない。
もしも神様が君たちの命を奪いにくるのであれば、親方が奪い返す。
親方は相撲しか知らない。相撲は詳しい、負け方も勝ち方も心得ている。
しかし君たちには勝たせることしか教えない。命懸けで勝たせる。
心が倒れそうな時には立ち止まって踏ん張れ!
そこにいればいい。敗けを知れば勝ちを知る。その方法は親方が知っている。
先代から与えられた哲学と自分で培った勇気がある。
その勇気の中には綺麗なものも汚いものもすべて入っている。

来るとこまで来たらこっちのものだ!

親方が教えた五進術は全員に教えている。言い方は違うけれども一視同仁だ。
これは君たち以外には教えない!
その答えは、師資相承の中にある、絆という掟の中だけにある。

男には男の道がある。
力士には力士の道がある。

この国を今後は亡き親方に代わり伝承せよ!
先祖伝来の牙城を守り抜け。

貴乃花光司

365日鍛練しよう。だが366日目に結論を求めてはいけない。

2013.4.8 風景

この空は変わらない!
この大地は変わらない!
生きていることは変わらない!

基本を心得ていれば、何者も恐れることはない。
窮地に陥っても、自分の居場所を明確に定められる礎。
心の領域、視野を広く持ち、軸のぶれない立ち位置を。
そして、どこかに偏ることなく誇り高くあれ。

外見にこだわることなく、中身を重視しよう。
友人や仲間 家族や連れ合いに感謝しよう。
自らの心に触れ、時々問うてみてはどうか。
心のコントロールを失うことなく、
だが、自身の心の琴線に触れるものと共に生きることを。

多くの人と感動を共有し、共鳴し合えることが大切。
自分自身と、そして目指すべきもうひとりの自分との共鳴をまず考えよう。
実現を目指して七転び八起き。
さらにそれを超えて十転び十一起き。
それを道しるべに歩くべき。

365日を鍛練しよう。
だが366日目に結論を求めないのが貴乃花道の精神。

日本人であることの幸せ。
倭人であることの不幸。
大和の民であることの充実。
大阪の人情に甘え、京都宇治の風に支えられ、再び東に還る。
またここからが出発点……。

<おわりに>
大阪の陣の職責を終え、心願成就の精神を学べた春でした。
逢坂の春に、時代の夜明け、復活の日本を垣間見て確信を得た所存です。
皆様のご厚情に、心より感謝申し上げます。

貴乃花光司

大阪場所を終えて・桜の花に想う

2013.4.5 桜の花4月2日の明け方。
雨が降っても桜は咲く。
数週間も咲かない花だけに、一年を懸けて花咲かそうとする桜。
日本人の精神的支柱である花。
四季折々の風土に、美しくあでやかに咲き誇る。

人生は真剣に取り組むほどに、幸せが逃げていく気になることが多い。
社会で生きていくことには試練が多い。
ひとりの人間が揺るぎない人生観を築こうと努力をしても、行く先々に迷路の入り口が待ち受けているようだ。

出口が見えにくい!
しかし路頭には迷ってはいない!
希望を失ったわけではない!
逆戻りしたわけでもない!

生きていくために、いつの日か納得できる人生観を手に入れるために
必要な経験を積んでいるのだと感じる。

私自身にたとえて言えば、年に一度しか咲かない桜の花でいいとも思う。
だからこそ、見事な咲き方を。
年に一度しかないからこその、咲き方を考えている。

たとえば、千年も人々の記憶に残るような咲き方を。
たとえば、花火のような一瞬でも、心に残る華麗な咲き方を。

貴乃花光司

アーカイブ: 新着ページ2015年度 │ 2014年~2013年 │ 2012年~2010年
Page Top
 
Page Top