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貴乃花親方からのメッセージ

貴乃花親方ダイアリー

厳粛

2016.3.25 忠誠と信義を重んじ、この人生に身を捧げる思いを、過去にない意地と懇親を抱いて皆様のご期待にお応えし、相撲道復活の道筋を常に歩み続けたいと思う毎日です。

人生は長くとも短いと申しますが、今日死に直面しても悔いはない人生を訓示として、我が身我が友我らが仲間と共に身を削る覚悟に至りました。

相撲道の普及は、我が人生の名代でもあります。我が故郷我が生き甲斐でもあり、記憶を辿れば、幼心に芽生えた軍神のように生まれてきた思いがいたします。日本の国益のお役に立てるための、相撲道の本懐を遂げるためのものです。

言うが易し行うは難しい、と社会の気風を打破してこの後の相撲界に大きな貢献に鉾を立てて、将来を担う力士たちの柔軟なしなやかな心を育てて参ります。これからもご支援ご指導を賜りますよう何卒宜しくお願い申し上げます。

貴乃花光司

神にはなれない人の血潮

2016.3.25 常に上位を目指して心身健全にして力人(ちからびと)、それが力士です。
神道の精神で鍛え上げられたのが“親方”です。
大相撲は神の領域を守護代するという意義があります。
肉眼では見えないもの無形のものに重点をおき精進することにあると思います。

立派な信仰心を持ち神の領域へいけるようにしてきたのが“親方”です。
入門時からそれが浸透しています。
厳しい稽古だけがそれにあたるのではありません。
生活の場から修練し、心を納めてきているのです。

人として生きて、神になれない人であるからこそ、精進(死まで)努力し続けてゆく器量が求められているのも“親方”です。
そうして土俵に上がり、歓声を浴びて夢や希望や信仰をご披露してきたのが“親方”です。

忘れない日本

2016.3.24遠く遠くはるか彼方から生まれついた、
そこから始まった歴史や文化は謎に包まれしものです。
どこから飛来し地球に降り立ったのかいまだ謎です。
それはきっと生きる意義を人間に与えるために記憶を葬られているからです。
分断の歴史や文化の衰退が争いを起こすのも事実です。
欲望に駆られた人間社会には魍魎の過去しか残しません。
それらをいたわりねぎらいながら支え合うことのできる人間社会こそ
文化と伝統の発展だと心得ております。

イメージ桜の紋章は
とても大切な意味をもつと考えてきました。
咲いている時間は少ないが
類まれな美しさをはなち
散り際も美しく風に舞う
吹雪にもかなう存在感
淡い色したひとひらは
神業のようにまた花ひらく命が短いのではなく
また咲かせるための時に入る
閉じては咲いて
咲いては閉じるを繰り返し
魅了する

明日につながるヒントを得るかのようです。

公益財団法人 日本相撲協会全般で桜紋の意義を唱えて参りたいと願うばかりです。

大阪場所にて 桜の花が咲く前にご報告申し上げます。

貴乃花

願い

2016.3.23 これが最初で最後の勝負となります。
選ばれしものが選ばれし選択をしてゆけばいいのですから。

この後の伝統文化の灯を消さないように
戦争が起きないように
日本の未来を考えて日本国民が世界の国民に問いかけられますように
切に願うばかりです。

貴乃花

年々思考

2015.12.28 力と術の反応は連鎖の嵐です。
勇者邁進、足を高く上げて、これからは男の生涯です。
まさに色恋や好き嫌いで人生は語れない大人の仲間入り、そんな一年でした。
新生、貴乃花部屋を追求し求め続けた一年でもありました。
不運の多い年々でもありましたが、神工鬼斧を目指しております。
二度とない人生を振り返ることなく生き進めますように、
勉むこころを抱いて明日にぶつかって行こうと、そういう誠が芽生えております。
実りは小さく芽は大きく咲くだけではなく、好きとか嫌いとかではない美しさや華やかさ、淡麗の中の泡が湧いてくるような、伝統的な一本気のようなものを行くのが、
本年からもこれからも、晩年に至りしも求め続けてゆくことだと確信に至っております。
精進あるのみ。
一服も入れながら、時には二服も三服も入れながら山伏の如く!

人生を振り返ることなく、通年を行き交い、行き通し、
果てなく限りなく人文を奏でて、それを続けることにも生き甲斐を感じています。

勉むにつく心、それは礼節であり言霊です。
全身全霊、文化の礎です。
新進古豪のなかに踏まれて、揉まれて、もがいて存在していたいものです。

執につく心、それもまた言霊です。
どちらを選ぶにしろ新進気鋭の思いをたぐらせて、奔走の時代に挑むための闘争心を抱いてしまいます。
慎み深く喪に服しながらの日々ですが、温故知新の猛稽古の姿勢は今もこれからも生き続けます。古きを知り新しきを得る、それが創造の現代の象徴ではないでしょうか?

永遠に不滅の真理を知ることの意義、求めても求めても消滅しそうな儚さ、
忘れてはならない大義と使命、離れてはならない忠義と誠実、
壊れてはならない歴史と伝説、それこそが文化の大義ではないでしょうか?

それを類い稀に伝える義理、伝えない不義理の無理難題を超えて
教え伝え学びつづける百戦錬磨の秘技を身につけてまいりたい所存です。
伝統に憧れて、ここに幸あれ!

今後も不屈の精進にて追々に秀で、それを夢に百折に向き合い
身心ともに倒れそうで軋み捩れながらも耐え忍び
同志、同盟、友のために桜紋を守護してまいります。

若さという命というのは与えられたものです。
老いてゆく心というのは授けられたものです。
健全を信じて節操に柔らかくしなやかに、を大切にして、遺言らしく生きたい次第です。損を演じて手に入る幸せも人生もあるかと思います。
とことん損してとことん恥じてとことん惨めで、そんな人生を!
イメージ
最後になりましたが、

鍛錬は煩悩です
訓練は習慣です
錬磨は人生です

これが私なりの教え方です。

遠い国、遥か大国、近くて遠い大陸からの伝来も
我が国の独自の文化に発展させてしまうニッポンのこころ。
それこそがこれからだ!とも確信しております。
そして大きな国ニッポンの意識も大切に大切にしてゆきたい。
平穏を求めるよりも平安を!安全を求めるよりも安泰を願いつつ
ご本年のご厚意、ご厚情に深く深く御礼を申し上げます。

追悼と哀悼

貴乃花

貴ノ岩へ

2015.9.23 押され気味の内容。
押し相撲の相手にも軽さが出てしまっている。

場所中であればあるほど、いつも以上に
基本動作の鍛錬を重ねなければならない。

勝ち負けの、精神的に過酷になる本場中は
それを周知徹底するに限る。
ゆっくりじっくり、いつも以上に正確さに心がけて行うが如し!

土俵は回るい
それを頭に入れて、シコ、テッポウ、すり足にて
名古屋場所心の硬さを解かすように
足先から頭のテッペンまでを解かす気持ちで!

師匠

名古屋場所

貴ノ岩 名古屋場所十三日目〜評価

2015.7.24 鍛錬鍛錬鍛錬、これしかないですね!

師匠

名古屋場所名古屋場所


貴ノ岩 名古屋場所十二日目 〜評価

2015.7.23

終盤戦、当たって砕けろ!のような
精神を抱かなければならない

勝ち負けの結果がすぐに出てくるので
気持ちは大事だろう

維持と繁栄が大切だろう

師匠

貴ノ岩 名古屋場所十一日目〜評価

2015.7.22 すり足 鉄砲 四股、大事ですね
相撲を取るより大変な作業です
どこまでも正確に長けることが重要です
腰を割り、自由自在な動きを目指すのがいいですね!

師匠

貴ノ岩 名古屋場所十日目〜評価

2015.7.21 張り差し横転、全くダメでした。

評価対象になく、これにてお開きです。

師匠

貴ノ岩 名古屋場所九日目〜評価

2015.7.20

ほんの少しの気持ちの作用が一瞬で出てしまうのが、良くも悪くも相撲です
如実にあからさまに出ますので、いかにいい作用ができるかがとても大切です

一つには、次に同じ負け方をしないというのが、いい作用にする準備かもしれません

勝ってこそ“覚える”相撲ですが、負けては”学ぶ”といった違いがあります
“覚える”は自然に体に身につき、“学ぶ”は反省で、防御のほうを学びます
勝ってこそ覚える相撲は、攻めないと勝てません
土俵から出たら負けなので防御は後手です
負けから学ぶのは、相撲を覚えはしませんが
攻めても負けては、後手を学ぶ止まりです
立会いぶち当たりから始まる相撲の基本とも言えるでしょう!

直径4メートル55センチの中で無差別級ですから、負けて覚える暇がないともいえます
勝つということは、それだけを掴み取るために日々の鍛錬を欠かさない意義がここにあります
押されない、押させない、動かない、が大切ですが
"押さなきゃ岩も動かぬ"です
これこそ相撲の極意かもしれません

押しも押されもせぬ力士であることが、強い相撲を取れる近道です

気の作用が勇気に変わるよう、活気溢れる相撲を
体から湯けむりの汗だくな蒸気が夏場に出るくらい
貴ノ岩には活躍してもらいたいものです
白熱した相撲を取って湧かせてもらいたいものです

私が弟子と接するとき『私の師匠だったらどうしただろうか?』と自問自答します
答えの出ないときは、経験談を諭してゆくものと思い
力士とは、相撲道とは、大相撲とは?なんであるかの話もします
若い子達ばかりなので、私が当然貴乃花部屋のなかでは一番経験があるので
相談できるのは自分だけであり、孤独感を感じることもよくあります
十人十色みな性格が違い、育った環境が大切な青年教育には、師匠が責任を持つ次第です
貴ノ岩には、その私の心も晴れやかに
館内のお客様が手に汗握る相撲を取ってもらいたいと思います

今日は35度の気温を上回っています
高温多湿な名古屋場所だけに、後半戦に向けてまだ暑くなると想定しています
外気が上がると室内の温度を低めに設定しがちです
しかし外気が上がれば室内温度の設定は上げなくてはなりません
機械的に体内環境を整えてしまうと、外気に触れたとき相撲を取るときの怪我が増えます
力士は激しい競技を行うため、もともとしていた小さな怪我が悪化したり
本場所の土俵で不意に怪我をしたり、と怖いです
そして冷房で慣らし過ぎますと危険です
機械的な風に頼らざるを得ませんが、冷えは人間の大敵、そして力士の大敵です
夏場こそ温かい飲み物を好み、内臓を温めておくと底力が残ります
晩酌に程よく冷えたビールやお酒を嗜むのは気分が晴れますが
ガンガンに冷えた部屋で、キンキンに冷えたビールをゴクゴクと飲みすぎるのは大敵です
貴ノ岩もちゃんこ鍋をよく食べていますし、温かいスープを飲むように心がけさせています

現役中は常に次なる戦いの準備です
毎日が準備です
食することの重要性がそこにはあります
後半戦に向けて、最後まで夏バテさせずに貴ノ岩を戦わせたいと思います

足腰足腰足腰
これをよく動かせれば、いい結果を招くことができるかもしれません
冷えは足元からきますし、相撲は足腰足腰足腰です
残り六日間、改めてこれを徹底させます

師匠

名古屋場所八日目〜激励・解析

2015.7.19

八日目、激励)

大関 稀勢の里、そして豪栄道の二人の活躍を期待したい
踏ん張れ、踏ん張れ、踏ん張れ!
最後まで戦い続けて欲しい!
命がけで戦うことを忘れないで欲しい!

解析〜八日目の取り組み)

豪栄道-
左四つが得意な相手に、左四つに最初からなってしまった
合口の悪さがあるとはいえ、左四つにならせない攻め方をやってもらいたかった
豪栄道は大型力士ではないので、緻密な戦略が特に必要だろう
押しに徹することで勝機を見出してゆくのが豪栄道の相撲であると思う
押すのと、前みつをとるのは基本的同じ姿勢であるから、この2つに賭けてみるのもいいかもしれないだろう
押しに徹したときの豪栄道は強い!
一方、差しに行った時の勝率は低いはず
勝率の高い方はこれからやった方がいいことだし、低い方はやらない方がいいのでは

大関の陥落は二場所負け越しだが、10勝が最低ラインだと決めて土俵に上がってもらいたい
大関陣の活躍は、その場所を盛り上げるには不可欠なわけだから、負けることを怖がらず、押して押して前みつに食らいつく、その先は自由に取れるだろう!

稀勢の里-

左四つになることが多くなっている
それ自体が悪くはないが、私は以前から稀勢の里の一番強いカタチは、頭でぶちかまし、左のおっつけを基本としながら、両方からハサミつけてゆき、結果左四つになるのがその型だと思う
それが新しい稀勢の里の相撲になればいいと、以前から強く思う
得意を見出してゆけば勝率は上がる、必ず優勝に近付く、今でもそれを使っていない比率が高いのに普通に勝てるわけだから、得意分野を開拓すればさらに勝ち続けてゆくことは必然的!

大関が長くなってきたが、まだ終わったわけではない
せっかくだから横綱になった方がいい、それの方が断然いい!
なせばなる、と私は見ている

貴乃花

貴ノ岩 名古屋場所八日目〜評価

2015.7.19

今日は暑い!こらから後半戦に向けて猛暑になっていくでしょう
今夜、月の出る頃には少しは涼しくなるでしょうが、東海の風は湿度が高くぬるめの風が吹く
こんな時は、暑い風呂に浸かり身体を温めて、どっさり汗をかいて爽快な風を授かりたいものです。

体調管理は食べ物、寝ること、心をしっかり保つこと、そして気を緩めることです
力士は早朝に稽古で汗をかきます
まだ暑くなる前の時間帯ですから最適です
貴乃花部屋は全員5時には起きます
夏はとくに暑いので、カンカン照りになる前に身体を動かすことに気を使います
夜は夜で、月明かりの下汗を流している弟子もいます
基本動作は軸を持ちますので健康的です
ダンベルなどを使わなくても、自分の身体を自在に動かす基本動作はいい汗をかけます
日中は昼寝をします
力士の生活は、365日理にかなっています
こうして最強の身体を作り上げて行くのが理想です

私は若い頃からそのスタイルできました
夜は走ったり、縄跳びしたりもしました
引退するまで、場所中でもほぼ毎日夜運動が癖になっていました
前夜の運動は、早朝からの稽古の準備でもあります
身体にそのスタイルが身につくと、やらないと気持ち悪くなるくらいです
こうなると生活スタイルの向上が精神的ストレスを若干解消してくれますので、"やらなきゃ癖"になります
若いうちに身につけると、一生癖になりますので健康的です

入門仕立ての頃からやっていたことを紹介します
15歳ですので、まだまだ身体は子供の身体です
ランニング5キロ、100mダッシュ、それと縄跳び500回を飛び、片足ずつで50回ずつ、仕上げは二重跳びを連続失敗しないで50回飛べるまでして終わります。

本場所中もです
子供の身体を大人の身体に創り上げるには、10代の若いうちに叩き込まなくてはなりません
シコ、鉄砲、すり足はもちろんのこと、他の動きを取り入れて、あらゆる角度から最強の身体作りを目指さなてはなりません
言い直せば、15歳からが一生をかけた身体づくりの基礎を叩き込め、一生の杵柄になります
体がクタクタで、箸を持つのも辛いこともしばしばでしたが、若さは武器で回復力も早く、キツイですがやりがいが持てます
一瞬の勝負でもある相撲、優劣のかならずつく相撲の世界、スタミナも十分に必要です
365日を鍛えて、366日目に結果だけを求めずにやり続けます
慣れてくるとやらなければ気持ち悪くなり、この気持ちに至るまでには辛抱ですが、やる気があれば必ずできるようになるので価値はあります

シコと鉄砲とすり足の相撲基本動作は、それ以上にできるだけ正確にやります
内臓筋を使い切るようにするのが理想です
足先から汗を掻くようにやるのが足腰、足腰のもっとも基本的なやり方です
なのでシコは身体にいいのです
片足をあげるのがシコですが、足を上げないでやる腰割りというやり方もあります
時間をかけて正確無比にやります
できるだけ、できるだけ、できるだけ、“畳一畳"の広さの中でやるのが基本です
壁にスレスレにくっついてやるともっとも効果的です
“畳一畳"分のなかに最強の身体をつくる小宇宙が隠されています
ブレを生じないようにやりますので、逆に畳一畳の世界に基本、基本、基本、の基礎が隠されています
足をあげるシコの前の基礎です

地道な鍛錬はシンプル極まりないものです
シンプルだけにきつく感じてしまうでしょうが、シンプルイズベストです
土俵に入る前にこれだけやらなければならないことがあり、単純に見える動作を“いかにして追求するかが"基礎力の養成です
この養成プログラムは一生できます
自重だけでやりますので健康的です

自然に腹式呼吸もできるようになり、血流も良くなります
なので力士は身体が柔らかいのです
この生活環境があるので、柔軟性に優れてゆきます
力士はただのデブではありません
私はこの相撲の基本動作は、やがて世界に伝わってゆくと以前から思っています
生活空間でできて、これだけシンプルで、単純明快で、足腰を鍛え、柔軟性に長け、足先、指先、裸足でやりますので、いかなる健康体操にも精通してると考えています
生活習慣病が急増する中でも“内臓筋"を使わないとできない運動はそうあまりはないと考えています
しかも圧は自分の体重ですから健康的にも抜群です
“正しい"姿勢でやればやるほど、身体の真ん中からスカッーとした気分になります
軸を保ってやれば、身体が喜ぶのです

足先から頭のてっぺんまで、血液の流れを感じながらやるのが、特に内臓筋を集中して使う動きの方法です
気功的でもあり、内臓筋を毎日意識して生きるだけでも気の流れがいかに大切かを感じることができます
息、食、動の充実は健康を練り上げてゆきます
お腹の中を練って練って、丹田を輝かせ、身体の中心を意識できるので健康的です

機械的に生きないで人間的に生きられる秘訣が相撲道には隠されています
知られているようで以外と知られていないので、もっと広く世に伝えてゆきたいと思います
世界の健康を救う動きになるかもしれません
これは正に日本の技術です

貴ノ岩は、入門時から投げ技の癖がありました
そこでも基本を徹底させてきました
“相撲の技よりも基礎"を目指して、数度の試練も越えて今に至っています
関取になってから数年が過ぎそろそろ、開花させたい、そんな思いでいます
今までやってきたことを、土俵の上で一般に広く紹介してもらいたいと思うばかりです

自分の意思を越えて戦い抜く執着を持ってもらえるといいのですが、多くを求めずに相撲道を貫いてもらいたいなものです
健康的かつ競争的な勝負の世界であるのは、事実選ばれた人間しか生き残れないのも周知の事実ですが、若いうちに楽をするべきではありません
苦労を重ね、シンプルな生き方をできればそれでいいのです
若いうちの苦労は買ってでもしろ!というのが本当です
私は私で、これまでの経験を生かし弟子を育てることに磨きをかけてゆきたいものです
すべての経験は人を育て、やりがいのある人生に変貌を遂げます
生きている幸せを土俵の上で味わってもらいたいものです
貴ノ岩という、一人の力士の人生を生き抜いてもらいたいものです
人生に負けないために土俵に上がるのです
自分か生きていることを証明するのです
足掻くも、もがくも、人生です
風のなかの太陽を自分で掴むのです
自立しすぎて、私が寂しくなるくらいになってもらいたいものです

師匠

貴ノ岩 名古屋場所七日目〜評価

2015.7.18

足腰は、踏み込みとともに開花させなけらばならない
足腰の使い方を発揮せねば、勝機を掴みにくい
攻めの切れ味を出せばいいのだが!?

走る様に、飛び込む様に、弾く様に、立会いに磨きがかかればいいのだが?

大相撲の昭和の取り組みを見ると4歩、5歩と、突っ走る様な踏み込みをしている私の師匠の「貴ノ花」の取組は、走って、走って、走っての連続して攻め抜こうとする取り口であり
小兵ながらの闘争心がむき出しの気迫を感じる
貴ノ岩も少なからず真似をし爪の垢を煎じて飲む様な意気込みで闘争心を抱けばいいのだが?

幼少の頃の私の家庭は、父親=後の師匠、初代「貴ノ花」の生活とともにあった
そこに子供として生まれ
その境遇は死と隣り合わせの様な生活をしている父、貴ノ花とともに
父親が無事であれば、それはそれで"生きていられる"といった環境で
父はたくさんの怪我を抱えてた
とくに首の頚椎は打撃を受けつづけていた
それは、あれだけの走る様な、突っ走る様な立会いをしていたためのものであろう
壮絶、壮絶、壮絶の連続で、父が生きて帰ってくれば、子の私も生きていると実感できた
そんな命がけの日々で私は育った

父は首を良く鍛えていました
本当によく鍛えては治療し、鍛えては治療しました
自宅には首を伸ばす整体の治療器までありました
煮えたぎった大鍋の中に、砂袋を布で覆った様な綿を入れます
熱湯につけたばかりのその綿の束を、俯せになり全身に乗せ、家族での"治療時間"の始まりです
そこに治療師の方がいるわけではなく、母と私とで横たわる父の背中一面、首から足先まで乗せてゆくのです
乗せるというより、腹ばいに横たわる全身に覆わせる、被せるといったものです
身体は温めなければならないので、とくに酷使している身体は温め続けなければならず
悲鳴と悲痛が聞こえてくる中、"これが本職、そしてプロフェッショナル、職人、そして力士"であることを学びました

足の先から頭のテッペンまで総てを駆使し、相撲は取らなくてはならず、テーピングなどは一切使わずです
テーピングなどしている暇を身体に与えないのです
それだけ全身全霊で取らなければならないのです
テーピング一枚巻いても身体の動きは制御されます
怪我をしてどうにもならない身体をサポードするだけのものなので、立っていられるのであればテーピングをしない、が定義です
テーピングは武器として使うものではなく、痛めた箇所(動かないくらいの怪我)の保護として使うのが定義です
本来の動きを制御するの定義ですので、全く強い肉体ができあがる、素の身体で足先から頭の先まで鍛錬することほど強くなるものはありません

絆創膏は傷口を手当てするものであり、それも見て育ちました
手当ての仕方、絆創膏のはりかた、病院の外来の様なものでした。家の中ではよく消毒剤の匂いがしていました
傷の手当ての仕方、砂まみれの傷口の消毒の仕方
切り傷をタワシでまずこするのです
ゴシゴシとそして消毒剤を染み込ませるのです
絆創膏の貼り方も、身体を制御させない様に独特な貼り方をするのです
それだけの力士は、一挙手一投足に注目して生きなければならないことを、私は家の中で覚えました

しぶとく、しなやかに、激しく、美しく、真っ向勝負の大関はこうしたところから生まれます
その相撲が取れるのは、生活の一部始終があるからできます
忍耐や辛抱は当たり前のこと、辛さや痛み、苦しみを知らなければ上位には上がれないのです
それが力士の本分です

一子相伝は精神から始まり、肉体にかえるのです
勝負への執念と命がけの人生、職業を生きることを、職人であることを、こうして私は教えられました

それは師から学んだ師資相承でもあります
師から子へ父から子へ、言葉ではない体現を目の当たりにし、その思考と思想を抱く様になり、今の私がいます。

師匠

貴ノ岩 名古屋場所六日目〜評価

2015.7.17

足腰足腰足腰、ここから始まる技量であり
力量につながり、心身にいい影響を与える

先代の師匠がよく言っていたこと
足腰足腰足腰、これに尽きる
土俵に根が生えたような足腰足腰足腰は、魅力ある相撲を取り、大相撲を繰り広げるであろう

先先代「初代若乃花」の、真似のできない鋼のような足腰足腰足腰、「貴ノ花」の柔らかな強靭な足腰足腰足腰
貴ノ岩は何を目指すべきであろうか?
そう考えたとき、師匠として自問自答してきたことがある
岩のようにガシッとした、相手の攻めからも動かない足腰ができるのではなかろうか
決して柔らかくはない、柔軟性に長けているわけでもない、しかし反応が悪いわけではない
身体の使い方を徹底し、硬さを強さに変えられるのでは…と今日に至っている。

幕下の頃に足首の骨折をした
今よりも自力に乏しく、いつかは怪我すると思っていたその箇所で、骨折ではあったが最小に抑えられたと肩をなでおろしたのを、昨日のことのように鮮明に覚えている。

それから少しづつ、身体の使い方ができるようになり、関取に近づいたきっかけとなった場面でもあった
今は幕内と十両を行き来し、定着向上な実績は望めていない
その点、何かしらのきっかけが経験となり、実績となり、きっかけを演出していけるだろうと
その演出を心がけさせるのが私の行であり、精神論から入り、身体の使い方に入ってゆく
心の基盤は"親からもらった大切な身体を、最も美しい肉体に成長させること"
身体の基本は"正しい身体の使い方を身につけること"
こうして、ああして、こうさせて
言って聞かせて、やって見せ、褒めてやらねば人は育たぬ、ではあるが
褒めたことはなく、叱咤ばかりしかしていない
「人生、最期は勝てよ!」の思いで
「負けても負けても、階段は降りずに
歯を食いしばって、死に物狂いでやれ!」というばかりであり
一段上がれば三段上がれ、とそればかりである

その道を歩かせるには、それなりの心得と心構えがモノを言うであろう
いずれの世界でも通用すべきことは、真摯かつ冷静な躍動感であろう
真実を掴み、自分らしく生きていって欲しいと

岩のような意思と、岩のような躍動感で圧巻快活な、元気のいい相撲を取り続けて欲しい
石の上に山があるように"山が心の部分、石が身体"であり、その土台は足腰足腰足腰であろう
気を抜かず、気を引き締め、気を緩めずに今場所を乗り越えるべきであろう

山のように澄んだ景色、あのような美しい風景を心においてゆけば、どんなときも乗り越えて行けるであろう!

師匠

貴ノ岩 名古屋場所五日目〜評価

2015.7.16

今までにない腰の重さが出てきた勝ち方だった
手足を使って攻め立てていくのが本来の形になるであろうし
そうなれば、攻めて攻めて取り組むという姿勢を崩さなければ
勝機が大きくなびいてくるだろう

全身を使って、足先から頭の先までを使い足腰から攻めてゆく
腰に重さが出てきているので足腰から底力を発揮するように
突き放して突き放して、突き起こして突き起こして
足腰から回転よく攻め立てることができれば
陽の目が出てくるであろう
全身を使い、足腰から全体重で相手に寄りかかるようにグングン起こすように
を念頭におけば、焦ることなく急ぐことなく慌てることなく
自分が取るべき相撲が取れて、自ずと結果が出てくるであろう

貴ノ岩の体力に変化が起きている
変化とは腰の重さのことであり、足腰と上体の連動性が出てくれば
今場所は今までにない相撲が取れるのではないかと見ている
この連動性だが、難しいものではない
容易いものでもないが、"ある相撲を取らせたくて"という思いで
身についてきているような気がしている

四日目までの取組は全く連動性がなく、同種の負け方にはなったが
少しでも思い描いている取り口ができてくると
気がのってくるのは事実であり、"勝つか負けるかわからないがやってやる"
といった男気みたいな活気を抱けば追い風が吹いてくる

よく気持ち一つとは言うが
気心知れた間柄に、もうひとりの自分と馴れ合い
お前が言うこともわかるけど俺はこの様に戦う
という相対関係を築ければ、足腰が出て攻め込める
どうせ負けるならやるだけやって負けてやる
といった何クソ根性の様なものが必要であろう

それらを操作してゆくには忘れてはならない鉄則がある
勝っておごるな、負けてにじむな!がいい精神状態へと導く決まり手でもあり
雨、風、吹雪にも勝り、夏バテ、熱帯、熱風にも熱意で乗り越えられるであろう
あくまでも熱心に自分が取るべき相撲を取り続けるという思いを込めて!

人間やるだけやったら、負けても勝っても笑顔でいられるであろうし
力を出し切れば、勝っても負けても精神的な落ち着きが出てくるだろうし
生かされていることも感じるであろう

感謝も感激も味わえる自分を"どんなときも"目指すべきであろう
朝も夜も来る自然界の流れを感じていれば辛いも苦しいも消え
生かされていることとは階段を登り続けることだと思う

経験を得て一つ二つと歩くわけだが、一段下がってまた三段上がると
"どんなときも"心に決めることも、人生を平らに生きるためには大切だろう
私はそう生きてきた
人に優しく自分には血気盛んに向きあうことも忘れてはならないことだろう

身体の怪我はすぐ治るが、心の怪我は治りにくいからこそまた生き甲斐を発見する     

師匠

貴ノ岩 名古屋場所四日目〜評価

2015.7.15

戦い方、戦術、共に考慮すべき課題。

どこを攻めてどこを守るか、とても大切なこと
『こうなりたい、ああなりたい』だけでは
勝敗は大きく分かれ、負ける割合は高く
足腰を地につけて取り組むと、勝ちに転ずることは多い

思い描いていることが身体で表現できなければ
動きが乱れ、焦りが出るだろう
『できない、できない』と嘆き、涙もろい結果になるだろう
土俵に上がると、その者の人生観が如実に出る
稽古場でも本場所でも同じことだろう
本当に神前たる趣き崇高なる間に鎮座する
真なる誓いが物を言うことになるのではないか?

信じることに報われ、生きてることに助けられ、戦うことに救われる
これ即ち、神のみぞ知る勝負の世界観ではなかろうか?
自尊心は土俵では通用しない
そのものが抱く人生訓はことごとく
風のごときに吹き抜ける
健全たる態度で戦うことの大切さ
がっぷり四つになり死闘をやり抜く強靭さ
これらは足腰、足腰、足腰の土台があり成立する
脚=胴体を支えるもの
足=指先の感覚を司るもの
腰=全体格の中心部にあるもの
こららの安定は相撲には欠かせないものだろう

脚を腰からかかとまでの部位とすると
足は土を噛むための部位となる
裸足でぶつかり合う、驚異の世界の相撲という競技に
平衡感覚の優れるに越したことはない
頭と頭とでぶつかり合う何トンの衝撃、吸収、吸着
頭からの衝撃を一旦足で受け止めて、天中から攻めがはじまる
だから思いっきり当たらないと発揮知ることができないことになる
貴ノ岩の今場所のこれまでの負け方に象徴されることではなかろうか?

当たり、攻め、攻め、防御、そしてまた攻め、攻め、攻め
改めて墨攻(墨守)たる態度で貫徹させるべきではないだろうか?     

師匠

貴ノ岩 名古屋場所三日目〜評価

2015.7.14

今日の解説で不知火(親方)が言ってくれていた
“稽古場では力強い”と!

全く本番になると自力を半分も出せないままの関取生活である
今日の取り組みも重さはあるものの、慌てて攻め返し墓穴を掘る
大体がこのパターンで負ける

攻めよう、攻めよう、とする気持ちはわかるが
手足が揃って出ていかない突き放し
動き回り突き放し、やがてまわしが取れるのだが
相手のいることであり、自分の形になれるとは限らないのが相撲
手足を同時に動かし離れても放れても押されないのが理想
本番ではその理想を少なからず出さなければ勝機は巡ってこないし掴めない

背丈があるわけではない貴ノ岩だからこそ、ガッツンとあたり
突き放し、突き放し、足腰で前へ出る、激しい取口が改めて必要だろう

今日の敗因は、重さが出てきているのだから簡単には押されなくなってきているのだが

攻め返しの際に、気持ちだけ焦ってゆくので、手足がパラパラダンスのようになる
簡単無垢な負けっぷりである

腰を入れて決めて、仕切りを確立させていくべきだろう
低く低くを意識しすぎても、足腰の安定が次へ次へ進む理想体系であり
相手のことを考えすぎて、自身のやるべきことがおざなりになり易い
自分のやるべきことを決めれば、自然と景色が見えてくる
館内を沸かす“新風”を巻き起こしてもらいたいものだ

この名古屋場所、名古屋先発事務所で永らく働いている
常盤山親方に報いるような気持ちで土俵に上がれば
結果がついてくるのではなかろうか

日頃からお世話になっているだろう!

そういう男っぷりも見てみたいものだ!

そして、勝ち癖を身につけて、負け癖を葬り去る自立も今場所は特に必要だろう
身に染みて大切なことである、と感じているだろう

常盤山親方を、少しでも喜ばすことができたならば一歩前進である

『満員御礼』が続くなか、『超満員御礼』に繋げるくらいの大きな相撲を取ってもらいたいものだ。

師匠

貴ノ岩 名古屋場所二日目〜評価

2015.7.13

身体に重さは出てきているものの、攻め手の使い方に問題あり
せっかく責めても、相手の重心をあげる、軽くするための技
押っつけなどを多用していかなくてはならず
引き技である巻きかえをしてしまう始末
揉み合いの最中に巻きかえに行ってしまうのが敗因である。

1)“おっつけ”とは、相手の腰を軽くする攻め手
2)“まきかえ”とは、自分の腰を軽くしてしまう引き手

根本からして、攻め技を多用し、結果としてまきかえしが決まるものであって
最初からまきかえをやるものではない
あくまでも攻めを連動させるのが相撲である。

結論からいうと、攻めてもいないのに最初からもろ差しを狙うということは
相手からすれば防ぎようがいくらでもあるということと、隙間を空けているということ

密着度が低いために押されやすいし、はたかれやすい、不安定な状態だということ
足腰を動かし、足腰で攻めて、足腰で攻防するのが本来の目的である。

館内をを沸かせる相撲を取ってもらいたいものだ。

や ら ね ば な ら ぬ !

師匠

貴ノ岩 名古屋場所 初日〜評価

2015.7.12

相手の得意な形になってしまった
しかしそこから始まる勝負である
応戦し、もがいて、攻め返す身体の動きが必要となる
足腰を使い腰を入れ、しなりながら自分の体制に持っていくのが技となる
今日はまわしに手がかかったがすぐ放してしまった
巻き返そうとしたはずの命綱がはなれてしまった
ここが勝負の分かれ目であり、身体の使い方、
足腰から食らいついてゆくことのできていない証拠である。

“落ち着きと激しさと強さ”を土俵にぶつけていくことが最優先
初日黒星、ここからどう巻き返してゆくだろうか?

シコを踏み、すり足をし、鉄砲をし
毎日どれだだけの集中力を高めていくだろうか見ていよう
“踏み込みと出足と鋭さ”をどれだけ見せられるだろうか?

名古屋は暑い!

しかし汗をかける衣食住の充実を心がけ
猛暑と対峙してゆくことも、もう一つの勝負であり
気候風土に溶け込むのもまたその方法であり
日常を謙虚に過ごし、慎み深く自分と向き合い
革命前夜のごとく自立心を抱いて土俵に上がることは精神統一をはかる
それぐらいの気迫でそれ以上の迫力で暴れてもらいたいものだ。

師匠

訃報をきいて

2015.6.23

「こんなことがあって良いのか?」そんな思いで、胸が張り裂けそうでした。
何が起こったのか直ぐには理解できず、驚くことも忘れ、状況を把握するのに動転し、事実と思えない葛藤があり、本人確認のために直ちに向かい、信じ難い光景を認めざるをえず、ただただ安らかな表情で眠りにつく音羽山親方の身体を撫でるのに精一杯でした。
不意打ちをうけ、頭を殴られたかのような衝撃でした。

6月21日、22日
沢山の方に見守られながらご参列を賜り、ここに無事に葬儀日程を乗り越えることができました。
相撲協会の沢山の方から供花もいただき、各界の著名な方々にも、現役力士たちにも温かく見送られました。
ご遺族、ご親族、ご親戚の皆様方の心を少しでも癒すことができたならば、私の心にも極小ながら陽射しが照らされます。
元大関貴ノ浪こと音羽山親方、故浪岡貞博の栄光の時代に一旦幕を閉じますが、「貴乃花部屋一同、一門一同の繁栄は、音羽山親方がその礎を築いて下さった」と、数多く語られるよう遺された私は歩み続けます。
髪の毛がすべて抜け落ちたような数日間は余力のない日々でしたが、もう一度立ち直り奮起し、これまで支え続けてくれた音羽山親方の意志を引き継いでゆきたいと思います。

優勝パレード〜貴ノ浪関豪快な取り口、真摯な大関、人間離れした足腰、下積み時代から隣で寝起きし、切磋琢磨しともに歩き築いてきたこれまでの功績。あれだけの素質と資質を持ち合わせた力士は簡単には輩出されないでしょう。
そして永年それを支え続けたのは、立派に喪主を勤めあげた奥様 陽子さんの功績でもあります。姉さん女房で16歳の頃から音羽山親方を支え続けた、たおやめなお人柄であり才色兼備、実に控え目な人望あるこの方と一粒種のお嬢さんを大切に守護いたしたい気持ちであります。

“人生如夢”ではありますが、今後も貴乃花道をゆく覚悟に至りました。

この場をお借りし、改めて葬儀にご参列賜りました皆様方の温かなご加護と、御厚志、御供花を賜りました皆様方に厚く厚く御礼申し上げます。

貴乃花光司

【訃 報】

2015.6.21

この度、元大関貴ノ浪こと浪岡貞博(享年43)が、昨日(6月20日)、
急性心不全のため亡くなりましたことを、ここにご報告申し上げます。

昭和62年入門の、私には一つだけ年上の兄弟子。
共に学び、共に戦い、これまで力をあわせて生き抜いてまいりました。
相撲界の繁栄のため心血を注ぎ、これからの活躍を切望されていた最中の出来事です。
貴乃花一門のため、貴乃花部屋のため、後進の指導に身を削り
相撲界を支えるべき人材として正にこれから活躍と飛躍が期待された最中の訃報です。

誠に誠に無念です。やりきれない気持ちでいっぱいです。
もう一度あの頃に、共に汗を流し、激しい稽古に耐え抜き、鍛錬し、燃えたぎる炎を燃やして、明日の夢へ夢へと向かって、お互い汗を流したあの頃にあの頃に
ただただあの頃に、あの頃だけに戻りたい。

イメージ私には現在余力がなく、あらゆるところの力が抜け落ちています。

これだけは皆様にお伝えしたい。
『身が滅びようとも、培ったこの絆は永遠となり不屈である』と。
この意志を継ぎ、葬儀は皆様と共に偲び
ご遺族の意志をもってひそやかに粛粛とさせていただきます。

大関 貴ノ浪関 のファンの皆様方
音羽山親方に永くお支えをいただいた皆様方
大相撲を愛してやまない皆様方とともに
偲び尊び哀悼の意を賜りたく衷心よりお願い申し上げる次第です。

一門代表 貴乃花 光司
平成27年6月21日

貴ノ岩 評価・千秋楽〜【力士の器】

2015.5.24一般社会でいう流行りを無視し、独自の法則を形成し、礼節闊歩にして快活、
そこには立礼に対して潔白な禊の信仰が存在する。

服装や身だしなみや靴底(雪駄、下駄)の使い方までもが生き方に入る
着物の着方、帯の締め方、雪駄の履き方(鼻緒)を足裏の力で掴みながら生活する
大地の力、天の氣、その間に生きる人、
地上に生きる最強にして最高の人物を【力ちからびと士】という。

遊びは食事、風呂、就寝であり、その他に求めるべきでなく
生活感の中に稽古を場面場面に繰り返し取り入れること
余暇は氣を養う作業であり、静養するに時間を有することに徹し
優雅な安らぎに少しの平穏を感じる
これすべて五蘊皆空である。

頭で考えること、身体で覚えること
二つのものがもうひとつの意思でつながり修得となる。
余暇も本本に通じ、遊びもこれに通ずる。
日の出の時間から鍛え、練り
24時間与えられるものは皆公平であり
大自然のなかに生きる灯火を生活に植えつづけ
自然体かつ流動的な日没とともに天地天命を敬う。

過度な稽古、過度な食事、これ教訓なり
生活のなかにない余暇の取りすぎ、これ力士の本分に非ず。
生命の理、性を分類し、士として生きる力の根源を徳とし生きるべし
根気、勇気、殺気を身に携え生きるべし。

正しく座り姿なる勢い、背後に溢れる近寄り難き質素
人間味溢れるその氣根あり。

心に、懐に、生き方に、刀携え生きるべし、
燦々と洗練され氣概年輪築くべし。
還る場所唯ひとつ、命を受けた土俵なり。
土、水、稲、備わりし生命の美、阿(生と死)吽 を呼吸し
八卦(剛と柔)よい、よい行司掛け声よーいはいいか?
準備はいいか? (よいか?よいか?)よい、よい、!

陽(剛)、陰(柔).陽は白星、陰は黒星 。
陰陽お互い準備はいいか?よいかよいか? 八卦よーいである。

制限時間いっぱい"まったなし"は
阿と吽を合わせて、目と目を合わせて、無言の会話が"まったなし"
マッタやカケヒキ、をすることなく、神事に基づき道に背くことなく
神に嫌われることはするな!
相手に合わせることはもとより神に合わせよが意である。

それを裁くもの短刀懐に、その慣わしは命がけ
裁くもの裁かれるもの理屈なき
行(善行、苦行)を司(神司、神に仕えるもの)なるものが意!

表舞台に立つこと力士、行司。しかし正座の中に
八卦8種に習い胡座座りがあり、
髷を結い結目で背筋を伸ばす姿勢を作り出すのが床山。
力士は生活苦楽の中に姿勢を示す、生活美を力士に与える床山。
(縁の下の力持ち)床に山を創り上げる
山は信仰の象徴(日本の象徴 富士山)=力士である。

神にしこ名を呼び上げここにきたり、
東方から西方へ生命の呼び出しであり
歌唱力ではなく呼び声、即ち鎮座する神に聖なる声を掛けるのが意。
五穀豊穣に際し土俵作り
土俵にまつわるすべての手仕事をするのが呼び出し。

大相撲の伝統美、文化、様式はこうして構成される
東西南北、東の青龍、西の白虎 南の朱雀、北の玄武
天の四方の神、四獣までもが見守るなかでそれは行われる。

行いはすべて行!
それを興すは興行!
伝統を繋げるものたちへの尽くし、慈しみ
文化の財産を蓄財するために興す行をいう。

神を興しそれを崇め物心両面の繁栄をもたらすのが文化の要素
目に映らないものを大切にするのが儀礼
崇めは秩序、文化の繁栄は力士の活躍がものをいう。

祭り事は奉ることであり遊びではない
そこで行われる繊細に込められた力士と力士との勝負事が
美しき彩りを揃えた花器となり、力の主である。
土俵懐に器量を備えてぶつかり合い、一戦を交える
しかし一線を越えない阿吽の世界観を維持し
美しき心模様をもち挑むのが力士の器である!

待った!
駆け引き!
呼吸不全!
は阿吽に至らず
 
腰を割り片手をついたらすぐ立つが慣わし
潔い善行は強く逞しく極める道をゆく
力士の本文であり、大きな器である。
これらを踏まえ生活、常識、知識を学ぶにあり
それでしか登れない山があり、山が動けば宙動く
それを天地に懸けて天地人としての哲学を益々学ぶにあり
土俵にはお金は埋まっておらず
埋まっているのは捧げ物であり縁起物
結果として地位を極め、禊をこころえ
真摯かつ終始敢闘をし、自分自身を正常に操るべし。

1週間を52回繰り返せば一年間である
一日を、ではなく1週間を先ずは生き抜き、気づけば一年間。
その日の一番一番ではなく、
15日間を生き抜くものがなければその上なし。
普段の生活のなかで身につけるに尽きる。

我が身に忠誠、尽誠、宣誓を抱くべき
それでなければ道は開かれず、鍵を持っているのは自身である
開け方を教えるのは師匠であり、素直に努力するのは朝飯前
死ぬまでの精進を心がけ生命力に火を点けよ!

師匠

貴ノ岩 酷評・十四日目

2015.5.23貴ノ岩 仕切り負けるときのあっけなさ
力を全く出せずにして負ける
負け方がある以上、ずっーとこれを繰り返す
負けた相撲のほぼ100%の確率で、やってはいけない立会いをやる
これは負けることの怖さで負けるのではなく
"昨日勝ったから"の安堵から生まれる心の隙間
そして勝ちにゆく相撲を取り、あっけなく同じ負け方の繰り返し
勝つために何をやったかを考慮せず
勝ちにゆく相撲を取ろうとするだけなので、相手の勢いをまともに受ける。

多分、昨日勝ったから今日も勝てるだろうの類の話
そこに戦術、戦略、戦法などはなく
気の抜けた相撲の取り口であり、一つも力を出せずに負ける
七勝七敗
明日は千秋楽、きっと明日もあっけなく陥落するだろう。

ちょっとだけ力を出せて勝てたら、次は全く出しきれずに負ける
勝ちに行くだけの相撲とは、相手を軽視している証拠
終わってみれば陥落
そのような実力では幕の内力士は務まらず
七勝できただけでも不思議であり
不甲斐ない負け方を毎場所繰り返す、本人の間違えた自尊心が
やがて命の危機となる
勝てないと嘆くまでの苦心にあらず。

端的にいうが、頭から突っ込んでいくのではなく
手で止めて逃げながら当たるだけの立会い
それがこうやらば勝てる、と思い込んでいる自尊心
負けて当然の内容である。

器用さがなければ不器用さで基本に忠実にあるだけなのが本当
負けた相撲には未来がない、そしてあっけなく負ける相撲には将来がない。
あっけなく負けるのは繊細に見えてしまうが、決してそうではない
おおちゃくだからこそ、その結果に至るだけである!

それだけに土俵の上では生身の人間がいる、生き様イキヨウが出てしまう。

師匠

貴ノ岩 評価・十三日目

2015.5.22 気力、体力、心力の充実に限る
相手のいることだから、思ってる通りにはいかないと決めつけるのは
予測に対応できないこととなる
相手の長所は攻めどころであり、短所は攻められたくない意識が高いために
防御に優れる短所を攻めるのが鉄則である
しかし、そこへたどり着くには長所への戦術が鍵となり
短所を攻め込む意識だけを持って挑むと
人間弱点を攻められれば、攻守の切り替えが早くなり
弱点を攻めただけでは、一瞬優勢に見えても劣勢になりやすく
一瞬勝ったも思えば、一転逆転攻められどころとなり
肉体の均等が壊れ、精神の反応に身体の神経がついていかない結果となる
一般的なこられが運動神経だが
所詮上位は優れたものたちの戦いになるわけで
予断は許さず、攻守の切り替えと反応の良さが自力となり実力となる。

遅い、遅い、遅いでは何も得ず、繰り返し負けに転ずる
一方、守りはじっくり、攻めは早くの
高純度な的確な反応を重視し、集中を高めれば
それが戦略となり戦術、やがて戦法となる。
孫子の兵法とは正にこのことであり
日頃実践しているのは力士でなければならず
相手の裏をかくのではなく、相手の思考力の裏側へ入り
裏をかかずして表を攻めれば、弱点に到達しやすい
簡単に勝とうと思えば、あさはかな故の勝負心では必ず負ける
練りに練って待てば、勝機は届く
届いてからの攻め方は技術の繰り返しである。
技術の繰り返しは特段のものではなく、普段の鍛錬がものを言う
守り方は特に体力、精神の比重が重くなる
これもまた鋼鉄を火にかけ、高温で火の玉を練って練っての作業に限る
地位を極めるとは安易ではないことの意である。

土俵上のつり屋根の赤房あと二日間の勝負にどう挑むのかは本人次第
落ちれば落ちる地の果てまで
上がれば上がり天空までも
それなりの産物を神は与えている
平等ではないこの世ではあるが
実は皆公平であることに気づくはず
物珍しく他を羨み、他を貶し、他を妬むのは最低のシナリオになり
土俵に上がったならばここにいる"我を思い"背伸びをしない
冷静沈着、背筋を伸ばした威風堂々のなか力を発揮するのである。

マイクタイソンは数字をトレーナーから伝達されただけで全ての動きができたという

マイケルジョーダンは劣勢を常にひっくり返したと言う

タイガーウッズは一寸のぶれもなくスウィングするという

マイケルジャクソンは数時間に及ぶコンサートが終了しても
納得のいかない動きを何時間も修練するという

非凡な才能を、根気と執着で
動物的感覚視野を手に入れたものがヒーローとなりけり
他を羨むことは負けを認め、孤高の人生を捨てるに等しい
ヒーローは必ず挫折を味わい、逆境の最中にあっても
その人間にしかなし得ない非凡を発揮する
但し、この世は公平にあり
ヒーローもはじめの一歩は平凡から始まっているのである。

わからないことはわかってる人から学び
わかっていることは与える素直さがヒーローを創造の極地へと送り出している。
お金で買えるものは想像と実績であり
買えないものは才能と天武、最も買えないものは真実である。

貴ノ岩、これを懸命に目指すべきである。

師匠

貴ノ岩 評価・十二日目

2015.5.21今朝の稽古場は、負けが込んでいるために必死さが少し出ていた
逆に勝ちが込むと安堵に陥る、これが本人の精神力の戦い
やらねばやられる、なせばなる
"もののふ"になったつもりで生き抜いてみてはどうだろう?

天気のいい日に誰もが口笛するのは当たり前で
雨の降る日に、どう生活するのかが生命の根源ではなかろうか?
いいことばかりじゃないのだから、命で呼吸を感じることができたならば
暗雲は回避できるのではなかろうか?

貴ノ岩が入門した時から、モンゴル人だと言われたくなくて育ててきた
日本人の英才に通じるように、モンゴル人として
猛虎の血をたぎらせろ!と言い聞かせてきた
秀才になる必要はないが、天才を目指してほしいと。

二代目は強くなれば二代目扱いされる
叩き上げは二代目としては扱われない
モンゴル人も強くなれば日本人じゃないと言われる
情勢は厳しいのだ
毎日を生まれ変わったつもりで朝を迎えなければならない。
忌み深く罵っても教えにはならず、叱り諭すのが指導者の教訓
貴ノ岩は五月場所の今が人生の正念場であり
25歳の夏となり、力の出る年齢にさしかかった
猛虎にならなければならない時を迎えた。

偲ぶはこれまでの恩返し
戦うは土俵への恩返し
対戦相手に畏敬の念を抱いて土俵に上がるべき!

うちの後援者の方々は、勝ったり負けたり
「貴ノ岩どうなってんの? 親方」 と言ってくださることが多い。
尊敬する川淵三郎(公益財団法人日本サッカー協会 名誉会長)様も
もどかしく、いつもいつもお声をかけてくださる。

後援者に恵まれている
力士でないと会えない方々がたくさんいる
毎度毎回千秋楽の打ち上げ会に
何年、何十年と来てくださっている方々がいる。
 
もののふになれ!成り切れ!

足が折れようが
歯が砕けようが
腕がちぎれようが
美しき狼となれ!

師匠

貴ノ岩 評価・十一日目

2015.5.20 五月場所 稽古後半戦に入り実力が拮抗しているもの
上の者に力を発揮できないのが非力の証拠であり
無論弱さの象徴である。

甘い、甘い、甘い! 考え方が甘すぎる
勝負をもぎ取りに行く精神状態ではない
もはや負けた相撲のぎこちなさの数々
進歩のない証であり
今後の低迷期を迎えるに値する負け方の内容
 
やんちゃに戦うことも魅力のある相撲に時折変わるが
それすらない単一的な戦い方の数々
工夫の仕方がつかめないのが現状だろう
教えられても、自らが実践し戦い抜かなければ勝機なし。

改めていうが、負けて覚える相撲は存在しない
勝利にしか学ぶものはない
 
いい取組を成功させれば人が育つ
成功できないからすぐ勝手にやり方を変える
 
これが不実なり。

師匠

貴ノ岩 評価と酷評・十日目

2015.5.19SOPHIAというロックバンドの beautiful という歌があり
初めのくだりに"永久未来続くものなど あるはずはないから…"と
途中のくだりに"Rockは詳しいぜ" とがあり、とてもいい歌!

国技館 正面の絵画
国技館 正面の絵画
「相撲の哲学って何かわかるかな?」
弟子たちにはいつも問いかけている。
貴ノ岩は一番わからなければならない立場にあり
後世に伝える義務があり、
何人だろうが関係なく、その役目は訪れる。
五臓六腑にしみわたり、五体満足に相撲が取れる
これほどの幸せがあるだろうか?

資源があろうがなかろうが、の国柄であっても
この日本の国技は精神分野の最高峰であり、赤富士である。
ほんの数分しか現れないものを信じ
それを取り入れることの出来不出来
唯一の民族主観を抱く国技、大相撲の道のりは果てしない。

横綱推挙状に啓上されている言葉は以下の通りである

『品格力量抜群につき横綱に推挙す』
 
その後に花押を書く
明治天皇の膝元で、鎮座される前で、あまる光栄の中
かくも多数の参列者の前にて横綱になる
品格とは品質ではなく、人間がもつ本来の姿と形
2つを踏まえて生きる型となる
 
品格は品性のこと
力量は情動のこと
抜群は生き方のこと
 
これらを踏まえて横綱である。

品性とは優しさ、強さ、しなやかさを併せ持つことを言い、
見かけではない
反対語を引用すれば、優しそうで、強そうで、しなやかそうで
見た目の者には当てはまらないのが実情である。
何故なら、強者うわべにあらず、そのことを成す、である
一般に伝わる放物線は実質論には遠くて儚い
実際は根底を覆す本音の部分のこと
稀に見る逸材しか学べないものであり
偽りの許されない世界である
“これぞ心打つ”ではないだろうか?
感動を呼ぶものは、本音で向き合う心模様のことを言うのではないだろうか?

それが本音の部分の、この世の掟のような気がする。

貴ノ岩 酷評・九日目

2015.5.18

論外

負け越すだろう。

評価に値しない
落ちるとこまで落ちて、幕下からやり直すべき
相撲を学ぶに値しない
弱腰で、弱点をさらけ出し
明日からの対戦相手は良く見えたであろう
『たかに勝つのは簡単だ』と皆に見せてくれた
明日からは負け方を教えるとしよう。

師匠

貴ノ岩 へ・九日目

2015.5.18 どこまで踏み込み、自分の型に手攻め込めるかが常に課題
 
後の線という取り口があるが
受けて立つの意がふんだんに盛り込まれているような
この型の一つは、決して受け身ということではない
空いている隙間に踏み込んで入り込むの意である
 
五線譜の中に音記号が存在しているかのように
五線譜の空いてる空間に、真白な間に色をつけてゆくような戦法のことを言う
それだけに難しく容易ではない
相撲の基本は、小さく入り込み大きくなるが根底であり
押してゆくのがもっと基本で、押せなければイナス、(かわす)。
左右に、右に左に、そしてまた押す
東西南北に円を描くように、縦横無尽に動き、緩急自在に攻める
丸い土俵だからこそ無差別級が成立している所以
四角であれば隅っこができるために
押し出されたら負けな相撲では成立ぜず
断然不利で勝負にはならず、である。
 
円い土俵だからこそ、押されても逃げ場があり、堪えどころがある
四角ではない円を生かして戦う
平常心とはよく言うものの、平らな土の上の
円を描いた土俵に踏ん張れる要素が物理的に存在している。

四股は真っ平らに踏み固める意
土も生き物であるから、気候によって膨張したり凹んだり崩れたりとする

鉄砲は柱を打つ!
踏み固めた土台に柱を埋め込み打つ
手で打つのではなく足腰(腰の力)で打つ

摺り足は、踏み固めた土台を滑りやすくし土台の整形をするもの
硬い土台だから、つま先でやっても整形まで至らず
踵と踵とを滑らせて行うのが摺り足

この3つの動きは
両踵と頭の上の髷を三角形の型とし
髷の中心から三角形の真ん中を地面に射抜いた中心を、丹田という
臍下丹田(セイカタンデン)のこと
三角形の底辺の幅はその体格で違い、肩幅よりも少し広く
仕切りの型で内膝の角度が直角になる位置

すべての力の使い方、最初の入れ方また入れ始めるところは、足の裏の土踏まず
土を足の指で噛みしめる意
股割り相手から受けた衝撃度合い、吸収を和らげるもの
股を開けばいいというものではなく
股関節と背筋と元をただすと、足の裏の土踏まずの母子球の骨の部分に
神経の伝達ができてるかどうかの確認をするもの
股関節を開くものではなくて伸ばすもの、身体の内側の骨格筋へ神経伝達するもの。
足裏、丹田、背中、お腹、頭まで全部繋がっている
髷の結び目から地面に串を刺した時が正中線となる。

見た目の筋肉の話ではないので、五臓六腑に染み渡る中の中のもの
動きの数々がちからびとの鍛錬法の所以である。

この3つを、できるだけ正確に行うが如くに
相撲基本動作の十ヶ条があり、氣鎮め(蹲踞)呼吸法から入る
内臓筋を含めた骨格筋を鍛えるには、ゆっくりした動作の訓練であるから
ゆっくり、ゆったり、ゆとりの反復的な繰り返しである。

遅い動きで鍛えた身体は強いから
土台ができるから、いくらでも早い動きができる
それだけのことである。
腹式呼吸で氣を鎮めないと、難しくてできないのが所以であり、始まりである。

いうが易しで行うは難しいが
相撲基本動作の小宇宙である血の巡りが良くなれば、代謝が上がり
関節が柔らかになり、怪我をしにくい身体、神経が行き渡った頭の回転
それも良くなり、対応術も身につく。
四股、鉄砲、摺り足がいかに重要であるかがわかる。

心理状態をいうと、人間不安を抱くときりがない
本場所中の過酷な精神状態は、力士なら誰もが抱く
普通の仕事では味わえない、労働基準にはそぐわない聖域環境であり
いつも整備がいる。
何故かは苦しいから!

同じ土俵に上がり、同じ精神状態に近い故に、状態のいいものが勝つ
大銀杏を結う床山さんは、その日担当してる力士の
髪の毛を揉んでいるときにわかるという
ベテランであればなおさらである。

精魂込めて作り上げられる本場所の本土俵
呼び出しさんたちが場所前に総出で作られる
言わば、職人の粋を集めた五穀豊穣の祭りなり。

脇差を納めて土俵に立つ立行司
裁きを命がけでやる意である
今時と思われるが、外国人のお客様が増えている昨今
なぜ西洋社会にいる方々が大相撲に惹かれるのかは
伝統美はもちろん、国技館の様式美と君臨する館の魅力はあるだろうが
一変して精神分野の興味があるのではないかと思われる
髷、土俵(土)、短刀(脇差)と、理由を聞けば恐ろしいくらいの
長い年月でつながれた伝統があることに気付かれるはず
惟神(カンナガラ)の神道精神や、
細かなところまで繊細に神の存在を大切にする
落ち着きのある歓喜な世界観を見に来られているような気もする。

空間が揃っている中で角力くらべる力を実践している力士たち
実は花道で出番を待つとき、怖くないときはない
いつでも後ろを向いて帰りたい心境
それでも前へ進む
控えに入り相手を見る、空間を見る
そこに座れば戦いは始まり
空間から相手の心理状態や目の動きを見る
無言の中での出来事ではあるが
心の底には恐怖心から抜け出すための作業に入る
出番が来て、呼び出しさんの"呼び上げ"に
すべての恐怖心から解放され、闘争本能に火がつく
足の動き、瞳孔の奥底まで見抜けるようにと敵策を射抜こうとする
時間一杯の行事さんの"待った無し"の立ち会うまでの三位一体が
この伝統文化の"美"である。

文化とは?
物心両面の栄華とあるが、大相撲はまさにそのものである
大相撲のマネジメントを考えても
元力士が経営者であり運営する気鋭の存在感
これがこの業界の強みであり、類稀な躍進を続けた組織である。
力士はやがてそうなるわけであるから
土俵の中の実践でその後の人生の花びらを学ぶべきである
土俵に上がることと伝統をつなげる作業の職務は同じであり
なんら変わらない
脳内思考の違った部分を使うことは多々あるが
力士として土俵に上がってきた思考力そのものである。

汗だくになって現役時代を過ごす価値あり
それでいて"花びら"いつでも散るが如しの潔さ
公益財団法人日本相撲協会の紋章は桜
花の命は短くて苦しみことのみ多い。
それでも力士でなければ掴めない栄光とがあり
美しい時代を作り出すことができる。
和をもって義を知り、礼を尽くして土俵に上がる
真摯に敢闘する夢や希望がつまっている
温故の力士の"水つけ"の写真を見ると
柄杓ではなく盃で水つけをしている写真を見たことがある
それは事実上の決闘を意味するのではないか?

力士を支えるのは覚悟!
勝敗を分けるのは革新!
勝負を決するのは活力!

大相撲を支えるたくさんの力があり
燃えたぎる情熱をもって最後まで戦うべきである。
今朝の稽古場、勝ったら安心負ければ不安の表情に見えた
いつも言ってる通りで、勝とうが負けようがやるべきことをやれ!

攻守の切り替えと、懐に飛び込み大蛇の如く食らいつき、勝機を逃すな
正しい氣の使い方は、限りなく勝機を近づけ、いざ出陣である
その気持ちの持ちようで相撲内容も変わる
予断は許さぬである!

師匠

貴ノ岩 取り組み評価・八日目

2015.5.17 五月場所今朝の稽古場はやる気に満ちていた
昨日の稽古場は脱線していた
2連勝していたので心に隙間が溢れていた
だから勝てない!

昨日の相撲。相手は一門である阿夢露
その師匠と私は契りの間柄
であるがために甘えが出ている一番
私は思う
一門対決で手本を示す、これが我ら一門の生き様である。

雌雄を決し、命を懸け、瞬きの間に
気力、活力、自力の数々をぶつけあい、死闘を繰り広げるのである。
それが力士と力士との本当の助け合いであり、初志貫徹である。

『八郎』という、とてもとても素晴らしい絵本がある
相撲道のあるべき姿ではないだろうか?
私の必読書である。

部屋別総当たり制度の今
それがある以上、土俵に上がり宿命を背負うこと
私の弟子達にはそれを背負わせる
それが出来なければ誰であろうと斬る!

それらを育て、教育し、いずれ一門で同じ一画に部屋を興し
切磋琢磨の毎日が夢である
それをやるまで死ねないこれらを育てなければ!

弟子には言の葉を遺している。以下、同文である

師弟論)

汗の量と涙の量は一定で、涙も乾くが汗も乾く
腹で涙し腹で汗かけ、どうせの人生笑って過ごせ!

力士とは、命にかえてもこの国の秩序を守り通す役目がある
報道の自由、言論の自由様々が現代を蝕む
叩かれ叩かせ叩かれろ!
それだけの自由を手に入れろ!

現場に働く記者様方に記者扱いをしたら赦さない
記者は記者様.様=プロフェッショナル
こうして歴史は伝えられてることを念頭に置き、礼儀正しくする。

力士は男芸者ではなく
ちからびと=力の主である
土俵に学び
土俵を崇め
土俵に沈め!

誓い。
すべての知慧を結集しそれで生きるのである
生まれてきたことの不満や屁理屈を言ってる場合ではない
力士はこの国の支えとなるべき存在
相撲道は遺産としてのこされたのだから
何故か?
記憶に近い歴史を学び、温情を胸に秘め、己と対峙するべきである。

生まれてきたからにはどうせいつかは死ぬ
土俵で死ぬなら本望だ!そう思って闘え!

威張るな!
滲むな!
躊躇うな!
粉々に散り
散々に散る
この身は散悶なり。

歴史に名をうって士農工商などという言葉がこの国には存在した
しかし現代社会は商農工士に成り、
元々が人に差別を与えるべきではなく、区別をするべきであるが
力士には地位があり、若いうちから出世が可能となる。

今のこの国の小売業の大繁栄は凄い、正に平和の象徴である。
それでも現代社会や情報化社会は
この繁栄をもたらした業界の知慧の精神を忘れるかもしれない
力士も忘れられない取組みをし、歴史に名をのこすことができたらどんなに幸せだろうか?
なんの仕事でも目指すところは同じであり、力士は本場所でその意気込みを披露できる
どんなに幸せなことだろうか!

これだけ便利な世の中にあり
不便になればひとたび今までのことは忘れられやすい世の中でもある
永遠のものは存在しないが、平和の尊さを身に感じて
力士として国技の象徴となるべき運命が
いつでも存在していると思わなけらばならない。

相撲道とは、士の精神をいつの時代も守り抜き
民のひとりとして、儀礼に富み、礼節に励み
弓の矢のごとく、暗闇の中でも的の真ん中を射る
泰然自若にして、豪傑無辺にして、足腰の悪い弟子はいらない
二の足で立てない弟子はいらぬ!奮い立たせよ!

土俵の上で生き様を見せろ!そんな思いで今日もいる
怪我なくやってほしい、などは思わない
"怪我"ほど我に怪しいワレニアヤシイである。
稽古は常に改善、改良、改心の繰り返しであり
髷を結ってなくてもその精神は生涯つづく。

25歳になった貴ノ岩
今場所が終わったら"死ぬ一歩手前まで"稽古をさせる
これまでの教えがいきていれば耐えられるだろう。
その時が来た!

余談、この間おかみさんに 「弟子を甘やかすなよ!」と言ったら
「あなたが甘いからよ」と突き返された
腹をたてるのも忘れて笑えたな
 "絶句" 
俺の知らぬところで甘えてるのは知ってるぞ!
おかみさんとお前達 VS 師匠だ、覚悟しておけ!

貴ノ岩よ、今や師匠は身体も小さく、相撲は取れないと思っているだろうが
一週間あれば、10番やっても10番負けない身体を作れるぞ
その時に気づいたら遅い、早くやるべきことをやれ
すべてに別れを告げて、甘ったれの精神とは決別しろ。
さもないとこの後の稽古で死ぬことになる。

初代 若乃花 初代貴ノ花からの教え
学び培った稽古をこれから初めて教えよう
伝説を教えてやろう!

おかみさんは助けてくれないぞ。

師匠

貴ノ岩 取り組み評価・七日目

2015.5.16五月場所もっと必死で戦うこと

決死の覚悟で土俵に上がることができるかできないか、
ではなくやらなければならない。
気迫の充実が体力の回復へと繋がり
15日間の戦いをより良い方向へ持っていく。

足の裏以外が地に着けば負けな競技の緊迫感は半端ではない
真剣にやればやるほど、取組後に会話などできないのが本当である
過酷に追い込んで、術と力を発揮するにはそれに尽きる
切なる戦いは苦しい、逃げたら負ける、下がれば負ける、人生と同じようなものである
土俵の中は小宇宙の様なもので、脳裏の奥底にある煩悩はもちろん
這い上がるための栄光やその人間の生き方すべてが揃っている。
 
不利な態勢、有利な態勢、そこから始まる逆転劇などの
人生に不可欠な苦しみも入り組んでいる
大自然の驚異、天変地変なども含めて在るといっても狂言ではない
人災が作り上げてしまうものが、相撲では地位降下に繋がる
地球の一片、小宇宙なのである。
宇宙に肌身でいっても生きられないわけだから
土俵の上は呼吸はできるが、それと同等の命運が分かれていると思うべきである。
土俵を舐めてかかれば痛い目に合う
人生も舐めてかかればえらいことになる
大自然を大切にしなければ息もできなくなる。
動植物は光合成によって生きていられる
このことを踏まえれば、土俵があるから力士は生きていられる
土俵に感謝し、恩恵を抱き、邪念を捨てて、輝く気持ちでそこに上るべきである。

土俵に上がるたびに緊張感はあるが
不安なのか、常套なのかで汗のかき方も違う
内臓から温めて汗をかき、大地の氣を足の裏で吸い上げて
裸足の心で生きてる実感を存分に感じているのならば
冷や汗などをかいている場合ではない。

戦う意識が薄いのであれば、直ちにそこから退散するべきである
土俵に学ぶ氣が薄いのであれば、神秘的な大地の氣を取り込むまであらず、
その資格なし!

初代貴ノ花の強靭な足腰、身体の小さな大きな気迫
指導されたことがないのでわからない、では済まされない。
その教えを散々伝えている。
あのしぶとさをいち早く取り込み学ぶべきである。

力士として25歳、そろそろいい年齢である
そう長くはない力士寿命に一矢報いることがてきるであろうか?

師匠から弟子へ
弟子から孫弟子へ
師資相承と、その意思は相伝され、反映されてゆく。

しかし
生きて屍、死して仏。
極小でもこの意を学べばいいのだが
無論理屈抜きであり、本尊は自分の中に棲まわせるべきである!

師匠

補足)

遠藤が必死にとっている
怪我からの復帰に、本来の力が出ないのは明らかだが
無論、決死の覚悟で土俵に上がっているのが手に取るようにわかる。
これがこの力士の人気の秘訣である。
容姿がいいとか、端整であるとかいわれるが
表情にはその人間の人相が出る、腹の底からのものが顔に出る。

七日目で1勝ではあるが後半戦必ず遠藤は勝ち出すぞと!

三日前、うちの部屋の朝稽古の際に弟子たちに教えた
必死にとっている姿がわかるか?と
全般ふんふんと聞いていたが、貴ノ岩はどうだったであろうか?
他人事で聞いていたならば、明日からの成績に如実に出るだろう
中日以降に本当の戦いは待っている。

遠藤は後半戦に底力を出す
前半戦の腹の底からの苦しみが戦利に変わる。
5勝すればいつもの時の勝ち越しである
あと全部勝てば9勝6敗となる、やってみなければわからない。

貴乃花

貴ノ岩 取り組み評価・六日目

2015.5.15 立会いの鋭さの無さ。
攻めの一手がたりない様であり、攻める意識が薄い。
 
これではまた負けが混む!
あと九日間を勝ち切るような内容ではなく
勝ちに行っただけの取り組みである。
 
『勝ったからいい』のではなく
『15日間という過酷な戦いをいかに戦うか』にある。
 
肉体と精神の共存であるが故に、後味が大事である
それは、次の日に余念を残さない戦い方

勝ちに行く取り組みではなく、知らぬ間に勝っていたぐらいの必死さが必要である
今日の取組にはそれは一切感じれない。
 
本人は"勝ったから"の安堵感を持っているはずだ
それだけに明日からの取組が不安視される
これが貴ノ岩の飛び抜けられない元凶である。

勝ち方を求めるものではない
理屈なく、死に物狂いで戦うべきなのである!

実力はその後についてくる
結果はあとから付いてくのと同じ意である。

土俵態度も、淡々としているのはいいが
活力、迫力、潜在力が感じられない。
事実、安全策をとって毎回勝てるほど相撲は甘くはない。
勝負事は容易ではない
土俵に上がるたびに孤高な精神が必要である。

正規の一戦とも思えるものは、相撲人生においてめったに訪れない
その時、勝者となるべき資質はこれである

逃げない
隠れない
引かない

五月場所~国技館満員御礼幕ということは、誰が相手でも総力を持ち
極限の世界で死力を尽くせるかどうかにある。
勝ちに行く取り口など一切合切通用しない
独り相撲は取れないわけだから、相手のいることであるから
日頃の鍛錬とこれまでの戦い方が鍵になる
 
結果は単なるの結果でしかない
高台を目指すか、展望を喜ぶだけか
眺望を楽しむか、頂上を目指すかは自分で決めるべき。

愚にもならない考え方は今すぐやめるべきである
変人と言われるくらいに集中力を高めるべきである
勝負師としての命運はここにある。
 
人生の決着は、これでもか!これでもか!と
苦しんで、苦しんで、成熟して行くことにある。
 
完璧にはなれないが、どこまでも完全にはなれる!
そう信じて打ち込めば、陽は昇る。

師匠より

貴ノ岩 取り組み評価・五日目

2015.5.14 取り組み表 真っ直ぐに 真っ直ぐに!

ひたすらに真っ直ぐに、土俵への報恩を念持におき
右か左か迷ったら、人生の選択は真ん中を行く
相撲人生も、相撲の取り組み方も、戦法も みなそうである
真を学ぶからこそ邪が見えてくる!

自分という最大の敵を味方にすることにある
頭でわかっていても体が動かない
自然に反応しないと自分自身をうまく動かせない
 
私が、弟子の相撲を見ると寿命が縮まる、といったが
その感情こそ人間の性
自分がとっているわけでもないのに、
そこまで感じることないのに、そうではいられない
 
力士である以上は土俵に生きなければならない
業を行うか?行を進むかでも違ってくるはず
誰かにいわれてからの行動では遅い
生業で生きたか?修行に生きたかにでも
心意気の中にそれ相応の違いがあり、言動行動ともにそれに基づく。
 
生まれながらに恵まれているから、幸せをつかんだかのように
すべてが決まっているかのような、国是みたいなことを語ってしまうと身にならない
信じる心、たくましい精進、諦めない気迫
これに限らない尽き果てぬ千里の道である 。

今朝の稽古場では
ひとかたならぬ弟子の不甲斐なさに、ここに在る信条の話をした
それと技術の話、技術の指導はあまりしない
見て学び、聞いて学び、心正して行う。
基礎力+思考力+最後に技術であるから、重要そうで重要ではないからだ
 
自由すぎると人は育たぬ
自由であるか幸せであるかは
環境や理屈のせいにしない決心をして生きること
 
首が回らぬほど苦しい方が自身は育つ
丁寧に綺麗に生きようとすれば地獄が待つ
這い上がるのも落ちるのも、それ次第である。

流行りを気にせずに、流行りを繋げる伝統文化
地位や名誉に関係なく、力士であることの意義を背負わせる。
貴ノ岩を筆頭に、勝敗は一旦今日だけで封印する
 
精神は肉体を超え肉眼よりも上へ行く。

相撲の道(祖国を背負う様な気持ち、その思い、類似するものがないもの)
お金でも買えない(素朴なまでの素朴な世界観)、の道を生きるものとして
 
威張らない
怯まない
躊躇わない

それらを抱いて土俵に上がることの大切さを気づかせること
全力で取り組む価値あり!と再確認させたい。
 
土俵の中に生きたものが悟りを開き、実りを迎え
春夏秋冬を踏襲するべきである
そうやって繋がりをもつべきである。

貫徹な精神!
黙って耐え忍び、決然と生きることは、美しく真摯な態度である。

とかく生きてゆくことだ!
軽々に語れるものではなく、へこたれない粘りの信条を! と願いたい。

師匠より

貴ノ岩 取り組み評価・四日目

2015.5.13 国技館のぼり

四つ相撲なのに技術なし、足の裁きもできない
何度教えても本番でできない、精神的な弱さが露呈した。

四つ相撲が腰を引いて四つを組むのは御法度
それをやれば必ず負ける!

今日の取り組み "ただまわしを持って、ただそこにいるだけ"!
みっともなく歯がゆさを超えた情けなさ!
また下位に下がるであろう、内容の乏しい取り組みである。

技術を教えても技術を取得できない
飲み込みのなさと飲み込みの悪さ
弱者が繰り返す反復的な行動である。

人を見てわが身に学び
人を見てわが心に忠誠を!の言動とはほど遠い、無力な知識である。

四つ相撲とは?
どんな取り口であっても同じだが、腰を中心として攻守を切り替える
攻めは一気に、守りは頑なに、が成功率が高い戦い方である
腰を中心(丹田)で捻る、練る、絞るが鉄則である
これがその地位でできなければ、それは単に力不足となる
心も身体も、腰を引いては戦う氣が薄れ、正に逃げ腰
心の状態はこれに輪をかけて硬直状態へ一変する

夏の猛暑に、室内で極冷え状態までキンキンに冷やし
頭の気持ちよさだけを求めて存分に浸った後
突然外に出て日射を浴びて、現実との違いに
心身ともに動かなくなるのが、その状態である
腰が引けた相撲は頭の勘違いが生むもので
現実と理想が混同し、そこから抜け出せない人間の行い

結果、不確実性を生み理性と倫理と情熱を失う
狂喜乱舞に戦う気力など持てるはずがないのである。

稽古とは癖を取り除くためにあるもの
故に稽古=古きを捨て滑稽に取り組む
この滑稽とは、笑ではない美的範疇の一つであり
稽古=考えて、留まって、古きを棄て去り(自分の悪習を取り払い)
新しい力を掴み取るのが常であり
歯を食いしばり、渾身の中から取得し身に付けるのが本分である。

自分自身のことが滑稽に見えるまで
笑えて見えるくらいにまで、追い込み追い込み
息もできないくらいに、苦しく苦しく苦しみぬいて
泣くことも、笑うことも、喋ることすらの余力もなく打ち込むものが稽古の意。

稽古場には神棚があり、神の道に到達するまでに
決して手の届かぬ神棚に近づこうとする人間になれ!の意てある。

人間は決して神にはなりえない、それだけに価値ある鍛錬である
なれないのをわかっていてあえてそれを目指すのが美徳である。

それであれば
人に馬鹿にされようが、人に揶揄をされようが、人に指を指をされようが
なんら目にも入らず、なんら気にもせず、なんら腰も引けない。

人に人間扱いされているうちは、それを目指していない証明である。
腰の引けてる場合ではない
自分への取り組み方を相撲道にぶつけていれば
決して土俵上で腰の引けた取組などするわけないのである。

汗も乾くが
涙も乾くもの
尻も着けば
転びもする。

しかし笑う門には福来たる、自分を笑えるまでにもってゆ く生死を賭けた様をいう
積み上げてゆくものは悪臭漂う、窒息しそうな貧しても鈍しない滑稽な自分である!

師匠より

貴ノ岩 取り組み評価・三日目

2015.5.12

攻め遅し
立会い弱し
踏み込みなし

無差別級の世界で勝ち上がるには
『これぞ!』という重さ、柔らかさ、鋭さが必要になる。

ただくっついて勝っているような今日の内容。

四股、てっぽう、すり足をこれまで以上にたたき込まなければ
身体は連動性が出ない

それ以前に心、身体、動き、プラス気迫がなければ
瞬発力は出てこない

くらえつく 気持ち
荒れ狂う 気持ち
ただでは転ばぬ 精神力 
覚悟を持った行動力 がどこまで出るだろうか?

出なければ負け、出れば勝つ可能性はある
先の見えない勝負に、明日に、いかに挑むか
氣の力で勇ましくいくしかない。

師匠より

貴ノ岩 取り組み評価・二日目

2015.5.11 貴ノ岩

『勝って兜の緒を締めよ!』
昔ながらのこの言葉を胸に秘めてほしい。

しぶとく
つよく
たくましく

相手の形になってからの勝利では
足に食らいついてやっとこさの取り組みであった。

貴ノ岩の四股名の由来は
“岩の如く不動の強さを目指す” 意を込めてのものでもある。
今日の取組みもそれとは程遠い内容である。

今朝の稽古では、昨日の負けを引きずり動揺を隠せない表情だった
一敗したら五勝する気迫を持たせるための指導をした。

本場所では“勝負は時の運である”事も教えている
その代わり、全力で毎日を過ごし、力士は力の主であるべきであり
ちからびとでなければならないと
強いのは当たり前、強くて当たり前、強靭なのは朝飯前、である。

稽古、稽古、稽古をし
本場所前、本場所中であっても同等の稽古内容でなければならない
15日間の戦いは過酷である
気を許したら大怪我、気を許さなくても怪我、
それだけ過酷な競技であり、人間だけに魔がさすことも多々ある。

それでも 男の修行場が土俵であり
研鑽を磨いて発表する場が本場所である。

行者であるかの如く土俵に佇む!

臨場感のある国技館の雰囲気のなかで
プロフェッショナル(職人)としていかに挑み、いかに戦うか
執拗に自分自身に問いかけ、精密機械の如く
人間が作り出す精密機械よりもなお精巧でなければならない。

地位が上がれば上がるほど辛くて苦しい
負ければ負けるほど辛くて苦しい
勝てば勝つほど苦しくて苦しい
本来無一物であり続けられることが自然体に変わる。

真紅な想いのとき、頭だけで考えてしまう人間
自分をどう扱うかが決め手になる
ぶつかり合いと、足の裏以外が地面についたら負けな競技であり
その緊迫感は情け容赦なく、花道に立つたびに恐怖心を覚える。

その思いを打ち消すのは稽古であり
24時間を25時間あるかのような気持ちで鍛錬し、鍛錬し、鍛錬する
25時間目は夢のなかで優秀な自分が出現するように
24時間を必死に生きる。

幻想の夢を正夢に変えるのは、人として生まれてきた以上の運命であると思う
岩の如く動かぬ強さ
岩の如く弾きかえす凄さ
そんな威厳を求められるだるうか?

今場所、十両に落ちたらこの先を暗示していることになる
関取になってから数年間のこれまでをどう活かすかは
全て明日からの取組みに懸かっている。

私は期待はしていない。
ただ、どんな生き様 イキヨウ を見せるのか、弟子を見ている!

土俵に上がり、塩をまく以前に水をつける
この意味は、切腹をする前と同義に感じる。

神聖なる土俵上で気概を抱いて戦えるだろうか?
この美しい伝統文化のなかに身を投じられるだろうか?

私はそれを見ている!

師匠より

貴ノ岩 取り組み評価 ・初日

2015.5.10

押し相撲の相手、自分より体の大きな相手に顎を上げての立会い
そして顎を上げなからの応戦は結局は胸を出してしまい、端的に押される結果となる

頭からつっ込まれて前みつを狙われて踏み込まれたら
相手からしたらどんなに怖いだろうか。

まわしにも手がかからずに、結局は退いて押し出される
覇気と気迫と気力を持つべきだ
稽古場で下位の力士と稽古をするような取り口では話にならず

「顎を上げて取組め」とは、どんな指導者も言わない
慢心としか言いようのない内容である
しかし、その慢心は心の弱さに値する
勝てるだろうから、やりやすい格好でやっているだけである
相手の得意な取り口を考え、自分が何をやるべきかを考えるのが先であり
それすらもできていない。

慢心 、傲り高ぶる心、
俺のかたちになったら負けるはずがないと思い込むのが動作にでる
心の慢心が動作環境にやたらと隙間をつくるので、自分のかたちにもなれない

心の隙、心の傲り、心の浮遊が慢心である。
本番の土俵の上ではまったく通用しない。

土俵の上ではその人間の生き方が如実に出る
隠しても隠しきれないのが現実
負けて覚える相撲などなく
生き抜くために負けたら勝つしかないのだ
勝てば海路の日和ありである。

今日は帰って「執念」という日本語を教え込みたいと思う
訓辞には『365日を生き、366日目に結果を求めない』と書いてある
しかし部屋頭はいまだに理解できていない。

慢心から執念にどう変えられるか、見ていよう。

私が技術を教えられるまでにも至っていない
いまだ心の戦術を教えることしかできない、これが私の空虚感。

それでも虚心坦懐に心を練って待つことのできる力士を
ひとりでも多く作りたいと思う。
寝て待つだけの力士は改めて作りたくないと思う。

365日練って練って、死ぬほどに結果をもとめない
生きるほどに、製鉄を打つほどの鍛錬をすることは
必ずや肯定しながら結果、我が心の栄光として帰還する。

土俵人生はその人間の一生を占う
相撲人生はその生き方を露呈する

本番の土俵上は日頃の成果を発揮する戦場である
死ぬ覚悟で上がるのが本場所土俵の意義である。

師匠より

一門連合稽古〜貴ノ岩一門連合稽古〜師匠


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